PHI POST-POLIO HEALS INTERNATIONAL 第10回国際会議
                
(アメリカ ジョージア州 アトランタ)2009年4月22日〜29日

              

                     PHI第10回国際会議(英語版)

ご出席の方々から投稿がありましたので順次掲載します

  PHI国際会議出席こぼれ話(1) 向 山 昌 邦
  PHI国際会議出席こぼれ話(2) 宮 本 悦 子
  PHI国際会議出席こぼれ話(3) 宮 本 悦 子
  PHI国際会議出席こぼれ話(4) 志 村 潤 子
  PHI国際会議出席こぼれ話(5) 伊 藤 義 雄
  PHI国際会議出席こぼれ話(6) 千 賀 眞 知 子
  PHI国際会議出席こぼれ話(7) 向 山 昌 邦

 
PHI国際会議出席こぼれ話 (1)

                                                   向 山 昌 邦

 4/22〜29にアメリカ・ジョージア州・ワームスプリングスで開催された国際会議に、7名の会員と
家族2名の計9名で出席しました。会議の様子や出席された皆さんの感想などは、連絡会便り 
No28に掲載されましたが、それ以外にも皆様にお話したいことがいろいろとありますので、これから
参加者から一文ずつ寄稿してもらおうと思います。まず私がトップバッターです。
1)PHI国際会議について
 PHIはアメリカ・セントルイスに本部のあるポストポリオ・ヘルス・インターナショナルという名前の
ポリオ支援団体です。ポリオやポストポリオの問題に取り組んでおり、アメリカをはじめ、各国の同様の
支援団体と連絡網を持っています。数年前から、全国ポリオ会連絡会もその一員として活動して
います。
これまで2〜5年ごとに国際会議が開催されていて、今回は第10回目でした。
日本からは私たちが始めての参加です。
2)飛行機搭乗の安全チエックは厳重
 空港内を歩くのが大変なので、伊藤さんは車椅子を使いました。ボランテイアが押してくれて、飛行機には一番早く乗れるのですが、乗客の安全チエックをアトランダム(無作為)に実施する規則があり、一番はじめに乗る人は必ずこれにひかかります。中部国際空港では伊藤さんが厳重なチエックを受けるのに長い時間がかかったので、次からは誰かが付き添って一緒に飛行機に乗ることにして、その付添い人が一番目の乗客としてチエックを受けるようにとの忠告を受けました。同行者のうちで私が一番手軽(装具をつけていないし、杖も使わない)と考えて、次からは私が伊藤さんに付き添っていくことにしました。
成田空港では、私が一番目の乗客として安全チエックを受けました。機内持ち込み荷物はもちろん、
ポシェットの中の検査、金属探知機での全身の検査(これらは、一般の乗客と一緒に、すでに中部空港で一度と成田空港で一度受けていたのですが、三度目の検査を受けた)、くつを脱いで念入りなくつの検査、吸い取り紙のような紙でのくつや手足のふき取り検査(これはすぐ隣の検査機械で調べる。火薬を検出しているのではないかと考えた)などを受けました。
厳重な検査でしたが、飛行機の安全のためにはやむをえないですねえ。
3)行きの飛行機は満席
 デルタ航空で、東京(成田)からアトランタまで直行便で、約11時間かかりました。これまで何回も国際会議に出張のために飛行機に乗っていますが、今度の飛行機は大変快適でした。15:00に出発して、
同じ日の14:00に到着した(日付け変更線を超えて東へ飛ぶので同じ日になる)のですが、まず夕食、
その後機内が暗くなり、各座席についているモニター画面で、映画、ゲーム、音楽などそれぞれ何種類ものうちのどれかを選べます。私は良く寝て、良く食べて、良く水分を取り、後はずっとゲームを楽しんでいました。


 飛行案内のパンフレットでは、機内での食事は1回しか出ないようでしたので、腹が減って困ると心配していましたが、昔どおり3回出ました。ただ昔のように超豪華な食事ではなくて、年寄りの私が食べるのに適量でした。
これまでは機内ではいつもビーフ料理をチョイスしていたのですが、今回は肉のメニューはチキンばかりでした。
アルコール類が出るのは、メインの食事のとき1回のみで、それ以外は、ジュース、コーラ、お茶、水などが出ました。


 飛行機は満席で、伊藤さんと私は、後部トイレのすぐ横の席でしたが、トイレに何回も行きたい私には好都合でした。トイレが使用中( occupied )か、空いている( vacancy ) かは座っていてもわかるので、空いているときにさっと急行できて助かりました。以前はジャンボ機に7〜8時間も乗っていると、トイレが満タンになったり、紙が詰まって、汚水があふれそうになることを何度も経験しました。しかし今度の飛行機のトイレはそんなことはありませんでした。
水をほとんど使わずに陰圧を利用して汚物をタンクに吸い込むシステムになったのと、乗客のマナーが良くなって、厚紙や異物を便器に投げ入れなくなったためと思います。
 
PHI国際会議出席こぼれ話 (2)  

 ウエスチン ピーチツリー プラザのクラーク

                                                 宮 本 悦 子

アトランタはアメリカ南部にあり、「風と共に去りぬ」のマーガレット ミッチェルの記念館や、公民権運動のキング牧師の生誕地であり墓所のある所で、道を行く人々も、アフリカ系の方々が多く見られた。また、宿泊所やホテルの従業員もアフリカ系の方が多かった。

私は1回目の海外旅行以来、1枚ものの住所録を必ず持つようにしている。海外出張の多い友人がそれをアドバイスしてくれたからだ。通常の旅行では家族とその友人に絵葉書を出すのだが、今回はポリオ会で親しくしている方々の住所も控えて行った。

最初の4日間は、自由時間が多かったにもかかわらず、買いたい絵葉書が手に入らなかった。26日の夕方になって、スーパーに入ることができて、ここでようやく念願の絵葉書を買うことができたのである。
その夜と次の朝になんとか10枚の絵葉書を書いて、いよいよ切手を買うことにした。最初に4泊したマウンテイン クリーク インはリゾート地にあって、切手は1階の売店にもフロントにも置いてなくて、郵便局でしか買えないと言われたが、そこは歩いたら行けそうも無いほど遠くて買いに行くのをあきらめるしかなかったのだ。

今までの旅行ではフロントで買うことができたので、フロントで切手を買おうとすると、フロントの女性は売店にあるからと、わざわざ案内してくれた。彼女は体格の良いアフリカ系の女性である。日本までエアーメールで1枚84セントだが、売店には84セントの切手はなくて、
21セント切手を4枚も貼らねばならなかった。1枚の切手を貼る予定で書いたので、4枚貼るにはスペースを見つけるのさえ大変だった。

フロントの女性は見かねて、親切にも貼るのを手伝ってくれたのだった。
あるハガキはJAPANと書いた上にしか貼れなかったらしく、彼女は私の書いてあった
JAPANの上に切手を貼って、空きスペースに自分でJAPANと書いてくれたのである。
「Oh!」とか「Ah!」とか賑やかに、最後の1枚まで手伝ってくださったのだった。
私がチップをお渡ししようとすると、「私はクラークだから。」と胸の前で大きく両手を
振るゼスチャーで断られた。そして、フロン
トに戻る途中、満面の笑顔で手を振って別れた。

翌日、私より前に集合していた旅行のメンバーに、彼女が「スタンプ!スタンプ!」と近づいて来られたと聞いた。「切手はいいのですか。必要なら手伝いますよ。」という気持ちだったのだと思う。

 
PHI国際会議出席こぼれ話 (3)  

 全国ポリオ会連絡会英語版リーフレット

                                                 宮 本 悦 子

昨年2008年に全国ポリオ会連絡会のリーフレットに私の描いた「蛇の髭(龍の髭)」を挿絵とし、表をデザインした。今回国際会議に参加するに当たって、その英語版を滝川さんが持って行った。
会議の初日のディナーの後、ディナー会場の外で、PHI代表のジェーンさんにお会いした。
一人ずつ「Nice to meet you.」と握手してくださった。滝川さんが、持って行ったリーフレットをお渡しすると、志村さんがすかさず、「She drew this picture.」と私をさして言ってくれた。
ジェーンさんが絵の植物の名前を聞いてきたので、「Beard of Dragon」と答えた。ドラゴンの発音が悪くて彼女に聞き取れなかったらしく、向山先生が分かる発音で教えてくださった。
ただ絵を挿入したというだけなのに、それが話題になって何か誇らしい気分だった。


 翌々日、国際会議ホールのロビーに、各国のリーフレットと一緒に、私たちのリーフレットも並べられているのを見た。朝、見たときは5,6センチの高さだったのに、夕方にはなくなっていた。多くの方が手にとって、日本での私たちの活動に思いを馳せてくれているかと思うと、
昨年の試行錯誤の苦労も報われて、とても嬉しかった。

昨年リーフレットを作成した時は、私は全国会で役立つことしか考えていなかったのに、向山先生は国際会議のことまで考慮していられたのが、今になってわかった。それにしても、偶然ながら東洋的な名前の植物の絵を使って、本当によかったと思った。

 
PHI国際会議出席こぼれ話 (4)  

 最後の夜の おかしくも楽しかった食事

                                                 志 村 潤 子

私たちは、ワームスプリングで3日間の国際会議の後、アトランタへ移動して、2日間、アトランタの市街を観光しました。日本人のガイドさんの案内で観光地をまわり、名物料理などもいただいて、観光を満喫した2日間でした。

 そして、最後の夜の食事は、ホテルでフリーとなりました。私たちの宿泊したアトランタのホテルは、円筒形をしたアトランタ随一の高層ホテルで、最上階は、回転しながらアトランタの市街が一望できる展望レストランでした。食事は、市街地の向こうに沈む夕日を眺めながら、ということになりましたが、宮本さんと私は、集合の目安の時間を待ちきれず、二人でレストランに繰り出しました。英語なら何とかなるという思い込みがありました。 こちらは料理の量が多いので、二人で一人前を取って半分ずつにすることに決めました。恥も外聞もありません。メニューは何とか読めて、単語を並べて意志を伝えると、映画のワンシーンに出てくるような頼もしそうな黒人の女性スタッフが、胸をたたいて「まかせなさい」というようなジェスチャーをしてくれました。

 飲み物もビールをどれにするかで、すったもんだしましたが、試飲までさせてもらい、飲みやすいバドワイザーを頼むことができました。そして、そのロケーションと食事に満足して、ぜいたくな時間を過ごすことができました。
 それからまた、食事を終える頃になって、チップをどうするかで悩みましたが、チップは先に出してしまい、恥をかなぐり捨てて、おつりは返してもらい、冷や汗をかきながら、でも満足してそこをでました。
 ところが、またまたおまけに、回転レストランなので、帰りの方向が分らないのです。帰ろうとして、間違って厨房に進入してしまったり、業務用のエレベーターに乗ろうとするのを見かねて、男性のスタッフが、帰りのエレベーターまで案内してくれました。思わず宮本さんと顔を見合わせて、笑ってしまいました。

 スタッフの人たちの暖かさと、思い通りの食事が出来て、贅沢な時間を過ごせた満足感と、もう少し英語を勉強して、話せるようになりたいと、実感した、おかしくも楽しいひとときでした。

 
PHI国際会議出席こぼれ話 (5)  

                                                 伊 藤 義 雄

旅はしたい。が、不安も常に頭を過る。年老いた今となっては海外旅行などは夢でしかないと
考えていました。昨年の総会でPHI会議参加の話が出た時、自分でも参加できるのかなあと淡い希望を抱きましたが・・・。それが今年の新年会で、具体的な計画が示されると、迷う心を振り払ってアメリカ訪問団に加わりました。以下にその感想の一部を記して“こぼれ話”の一つとしたいと思います。


1)長い飛行時間は初体験 

成田からアトランタ空港までの飛行時間は約12時間。この長い間にトイレに立たずに済むことは、絶対にない。特に冬場は(夜間飛行の機内は寒い)トイレが近い私である。機内の通路は狭く、その上揺れる中では、松葉杖に頼る身では歩行し辛いと想像しました。

ぐっすり寝れば、「抗利尿ホルモン」が沢山出るから夜間にトイレに行く回数が少なくて済むが、私は乗り物の中では、殆ど眠れない性分なのです。尿もれ、頻尿に効くと謳う市販薬(生薬製剤)も直前からの服用では、効果に疑問を感じる。生薬製剤は、ある程度長く使用して、その効果を確かめる必要がある。
また、服用後の一定期間は胃腸障害に注意を払わなくてはならない。直前の使用により、下痢症状を起こしては、私にとって最悪となる。同時に胃腸を悪くすることによって、乗り物酔に苦しむことにもなる・・・と、
出発前はあれこれと心配を募らせました。

しかし、事実は、大型旅客機の機内では心配するほどの揺れはなく、座席は立って一歩すすめばトイレと、好都合な場所でした(同行した宮本さんが席換えをして下さいました)。それで気持ちが大きくなって、飛行機では初体験の機内食にビールを追加注文しました。
長時間の機内では、座ったままの姿勢が長く続くと血流が停滞し、ときに血栓症を引き起こす恐れがあり(深部静脈血栓症)、充分な水の摂取はその予防になるそうだ。成田空港を離れたあとは、食事後や食間でも機内では良く水分を取るよう心掛けました。
飛行機による長い時間の搭乗も何の不安もなく、楽しむことができました。


2)PHI国際会議場で見たこと

ルーズベルト・ワームスプリングスを訪問できたことは、本当に素晴らしいことでした。
大統領とポリオの関係について、歴史、治療、装具の開発、リハビリ施設への展開等々見聞を確り、自分の胸に刻み込むことができました。

 会議場での講演や討論は、ことばの壁があって内容を十分に把握することはできません。しかし、米国の医療従事者とポリオ罹患者が、ポストポリオについて互いに意見を交わし、その対処方法やQOL(Quality of life) への取り組みに、賑やかに議論する姿勢を見ることができました(向山先生がプログラムを日本語に訳して下さっていたので、主旨は掴めていました)。
一方、当地の参加者と私達との交流も其処彼処で見られました。
呼び掛けて下さった方を囲んで、身振り、手振り、片言混じりの対話から笑い声も漏れる交流の輪を見ることもありました。私は、電動車椅子の男性から話し掛けられました。
彼は足に履いた補装具の靴の部分を指し示して、熱心に語ってくれました(お気に入りであることは察しましたが、南部弁?の早口で詳細は不明)。

 ジョージア・ホールでの展示物を見て、この国際会議に日本から、補装具関係の技術者が、一人の参加もなかったことに残念な思いがしました。


3)スクーターに乗ったショッピングは快適

 ワームスプリングスでのPHI会議終了後の翌日は、アトランタ市に異動、二日間ゆったりと市内観光をしました。
そんな中で日本では、まず出来ないであろう思われる経験をしました。それは、観光ガイドの方の勧めで、現地のスーパーマーケットでショッピングを体験する、と言うことでした。お店は「TARGET」と称する日用雑貨を揃えたホームセンターと食料品関係の店舗を併設する市内でも規模の大きいショッピングセンターでした。

私は、そこでスクーター(電動車椅子型)に乗って、買い物を体験しました。操作はいたって簡単で、手元のスイッチを上下に動かすだけで前後に異動できる安定した乗り物です。店内の通路は幅広く、棚の品物も座ったままで殆どが手に届く位置にありました。利用者が不便さを感じないように配慮がなされていることも知りました。私は、欲しい品を探すのに広い店内を乗り回した後、歯磨き用クリーム一個5ドル40セントを払ってレジを通過しました。(歯磨き等に関する用具は、日本のホテルのように常備されていない)

スクーターは常時レジ近くに置いてあって、誰でも利用できるとレジ係の女性は言いました。事実、沢山の買い物を抱えた年配で体の大きなご婦人が(障害者ではない)、ためらわずに使用される光景を目の当たりにしました。


私は、このショッピングを経験する中で、段差など施設内のバリアフリーはもとより、障害者やお年寄りに優しい気遣いが、ごくふつうに行われているアメリカ社会を垣間見た思いでした。

一週間の海外旅行中、荷物の持ち運びをどうしたらよいか悩みました。背負うバッグの中身は必要最小限に止めましたが、歩き難さは否めませんでした。そんな時、向山先生他同行の方々が手を差し伸べて下さいました。お世話になった方々に、この紙面をお借りして、感謝の意を表します。

     
   PHI国際会議出席こぼれ話 (6)
 楽しかったアトランタ旅行
                                              千 賀 眞 知 子

会議場キャンパスを回るバスツアー
 バスには、案内人と温和な感じの高齢の男の人が座っていました。その人は若かったときに(ポリオにかかってワームスプリングスで療養していた)ルーズベルト大統領のお世話や車いすを押す仕事(プッシュ・マン)をしていたそうです。お話を聞きながらルーズベルト大統領が利用していた家や執務室(リトル・ホワイトハウス)、プールなど案内していただきました。
 プールは温泉だったということですが、もう使われていません。スロープと手すりがありましたので、まぶしくて日焼けしそうと思いながらも広いプール中ほどの温泉の出口まで歩いて行き、たまっている水に触ってみました。少し暖かいかなというくらいで、日本で思っていた温泉とは違って、冷たい温泉でした。ワームスプリングスとは「暖かい温泉」という意味で、近くにはホットスプリングス「暑い温泉」という場所があることに気づきました。
 プールにつながる建物の中にはいろいろなポリオ治療に使われた器具や装具が展示されていました。中でも“鉄の肺”には驚きました。私が3歳半の時、大学病院で見たものは、黒くてとても大きく、怖いものというイメージでしたが、今回アメリカで見たものは薄黄色で小さなものでした。その装置についてより詳しく知ることで今までの漠然とした恐怖が払拭されたように思います。
会議中のホテル
 キャラウェイ・ガーデンホテルの食事は、バイキングで好きなものをいただきました。朝食にはスカーレット・オハラ(「風とともに去りぬ」の著者)が大好きだったというカリカリに焼いたベコンもありました。夕食ではかわいい少女がお皿に山盛りカニを載せてくれました。食べきれそうもないので3分の1ぐらいにしてもらいましたが、他のものよりあっさりしていて美味しかったので、またもらいに行くと少女は「美味しかったでしょ。」という感じで微笑んで新しいお皿くれました。
アトランタのホテル
 ホテル・ウエスティン・ピーチツリー・プラザでの最後の日、私たちは夕焼けと夜景を楽しむため8時ごろ72階の展望レストランに行きました。ですが、エレベーターは直通で73階までしか行けないため、1フロア分階段降りなければなりません。階段で回転展望レストランに降りていくようになっていたのです。でも足の不自由な私たちが困っているとボーイや係りの人達がやってきてエレベーターを72階で止まる様に調整してくれ、やっと72階まで行くことができました。
 窓辺に座りゆったりとくつろぎながら夕日が沈むのを見、ストーン・マウンテン・パーク、CNN(テレビ放送会社)などアトランタの街を眺めました。食事はアメリカの気分を楽しもうと、もちろんステーキにしましたが私たちには量が多すぎるので半分ずつにしてもらいました。ところが最初の暖かいポタージュだけでもたっぷりで、本当に、お肉半分でちょうどよかったです。高速道路の照明やビルなどの美しい夜景を眺めリラックス。初めての海外旅行が皆様のおかげで無事終わろうとしていることに感謝しながら楽しいお食事を終えました。
 から旅行会社とのトラブルがあったことなど聞きますと、滝川さんや向山先生たちは大変苦労なさっておられようです。今回、ポリオ会での旅行だったため、疲れた時は車窓から見学するなど、日程無理のないよう十分に配慮されていました。不安に思っていたアメリカ旅行も皆様のおかげで楽しく終えることができまた、最初予定していた料金よりずいぶん安くなるようご配慮いただきました。本当にありがとうございました。
 
PHI国際会議出席こぼれ話 (7)
「蜂刺され」とオシッコ
                                              向 山 昌 邦

 帰国後、役員会の折に、キャラウェイ・ガーデン・ホテルで蜂に刺された話をしたところ、美人の役員さんに「刺された所にオシッコをかけたか」と聞かれた。
「Yes, I did so, madam. (もちろんそうしましたよ)」。


 実は、その日、刺された部位が痛くて仕方がないので、一生懸命刺し口を広げて口で中身を吸い出そうとしたが何も出ない。とっさにトイレに入って尿をかけてみたが、効果なし。何しろ0.1ミリに満たない小さな刺し傷に尿が入って行ってアンモニアが蜂毒を中和するとは思われなかった。ホテルのフロントで、蜂に刺されて痛いことを言うと、受付のお嬢さんが救急箱から「蜂刺され」用の湿布セット(硼酸水を湿らせた3×3pのガーゼ)を一つくれた。アメリカの救急用品を試してみるかと、それを絆創膏で貼り付けた。痛みは少しずつ和らいだが、翌日になると手の甲全体から前腕にかけて赤く腫れ上がり、熱を持つ状態になった。あわてて手持ちのサロンパスを貼って冷やした。腫れと赤みは次第に良くなったが、今度は腫れた部分がかゆくて困った。掻きすぎると新しい傷口から雑菌が感染するので、つまむ程度にとどめた。このかゆみは帰国するまで続いた。

その後、職場の数冊の医学書で、「蜂刺され」の救急処置について調べたが、どこにも尿をかけることや、アンモニア水を塗る事は書いてなかった。刺された部位を冷やすしか仕方がないようである。蜂毒によるアレルギーでショック状態、ときには死に到る、琴が心配で、そんなときには救急車のおせわにならないといけないとのことである。

子供の頃は蜂の巣があちこちにあり、いたずらに蜂の巣を落としたあと、蜂に刺されて痛い目にあったことが何度もあった。その都度オシッコをかけたり、塗ったりしたが、効果のなかったことを思い出した。

 
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